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OUR STORY

Ohama Cotton Industry

Ohama Cotton Industry

HATSUKAICHI, HIROSHIMA

人間も動物だから。
天然もんの綿で眠ってほしい。

06

布団、まくら、座布団。何気なく日常をともにしているアイテムですが、これらは原綿から製綿、綿入れという一連の技術によってつくられているもの。今、この製綿・綿入れの技術を持つ職人が減少しています。私たちは、日本の伝統技術と共創し、継承してゆくことをブランドの使命としていますが、特に「この方の技術を来世に残さなければ」と使命感に駆られた人がいます。それが、広島県廿日市にある大濱綿業の昭和9年生まれ御年88歳(取材時)の大濱髙さんです。

目の届く範囲で
ものづくり

大濱綿業とYARN HOMEとの出会い。それは、デザイナー荒川の父・忠夫氏が営む広島の布団メーカーの歴史と重なります。忠夫氏は、布団作りに欠かせない「製綿と綿わた布団作り」の工場として、大濱綿業に長くお世話になっているのです。布団業界に身を置き40年以上になる忠夫氏は、大濱さんの技術を「一流の職人技」と絶賛します。「この技術を決して絶やしてはならない」と危機感も募らせています。YARN HOMEにとっても、大濱さんとものづくりをともにすることは悲願でした。現在、こどもBEAMSとのコラボ商品であるくつろぎマットの布団を、大濱さんの工場で行っていただいています。

 

デザイナーの荒川は、大濱さんから技術だけでなく、ものづくりに向き合う姿勢についても多大な影響を受けていると話します。「目が届く範囲でものづくりをしたい、という大濱さんの考えに共鳴しています。私も、拡大路線ではなく、身の丈に合った歩幅で、自身の想いを届けられるものづくりをしていきたいと考えているんです」。荒川は、大濱さんが無理せず、地道に、着実に積み上げてきた日々の営みに対して、厚い信頼を寄せているのです。

綿(わた)を作らにゃならん

大濱綿業は昭和42年の創業。最初は加工賃がすぐ手に入る布団の打ち直しから事業を始めたそうです。打ち直しとは、長年使ってへたった布団の綿を取り出し、汚れを取り除いたり、硬くなった綿をほぐしたりする技術のこと。ただ、すでにある商品に手を加える打ち直しだけでは商売にならないと考えた大濱さんは、「綿を作らにゃいけん」と、原綿を仕入れて、製綿することを決意します。というのも、大濱さんは会社を興す前、父親の綿業会社を兄と経営していた経験があり、その後、ブラジルのカネボウ(紡績工場)で6年もの間働いていた経験があったのです。

 

「19歳までは兄貴と一緒に親父の後を継いで会社をしていたのですが、地道にやっていきたい僕と、大きな商売をしたい兄貴とで考え方が全然違うから、喧嘩になったんです。それで僕は辞めて、単身ブラジルに渡りました。カネボウの紡績工場に入ったころは、特殊紡績を作りよったんです。その経験がのちに生かされました」と大濱さん。「ブラジルの工場を辞めるとき、頑張ったからと退職金を150万円もらいました。社長から、現地雇いで退職金をもらったのは君が初めてだ、と言われましたね」。海を渡って必死で手にした技術で、自らの会社を興したのでした。

綿わたの目利きは、誰にも負けん

大濱綿業らしさ、独自の技術とは、一体何なのでしょうか。「まず、原綿の素材を選定できるところ。目利きは、誰にも負けんと思います。綿にはいろんな産地があります。産地によって出来が違う。いろんな産地の綿の配合を変えながら製綿していくのですが、どう混綿したらどんな風合いになるのか、長年の経験でわかります」。

 

「さらに、原料の綿の中には綿かすが残っているから、どの機械に、どのくらいの時間かけたら、納得できる良い状態に仕上がるのかも、わかる。その日の湿度と乾燥で、機械の調整を変えよるんですよ。和綴じ(昔ながらの和風仕上げの布団)、ロングアーム、どんな布団でも作れるのはうちの特徴だと思います」。大濱さんの自信が伺えました。

機械は子供みたいなもん

「あそこの機械には、大濱さんの魂が宿っとる」。機械屋さんからこう聞いた、と忠夫氏。「すごいなぁ、本物の職人だと思ってね。信頼しています」。魂が宿る機械とはどういうことだろう?すると大濱さん、「機械は子供みたいなもん。その日の調子とか、気持ちとかがわかります。工場へ入ったら、音を聞いて、目で見て、においを鼻でかいで、手で掴んで。何回も繰り返して、繰り返して、綿の状態を確かめて理解できるようになった」と話します。
繰り返し機械をどうしたのだろうか。ハテナが浮かぶ私たちに大濱さんは優しく教えてくれます。「機械を改造して、改造して、改造して、思うような綿ができるまで、失敗しちゃあ直してという経験が大事だったね。親父は戦後、日本にはええ機械がないと、中国から中古の機械を買ってきていた。そのときの部品がいっぱいあったから、部品を取り換えたり、組み直したりするのは、どうってことないね。今もね、工場の外に出しとる機械、ばらして直したら素晴らしい機械になると僕は思うとる。ただ、思うように体がいうことを聞かないから難しいけどね」。88歳(取材当時)の今、機械いじりは控えているとのことですが、どれだけ機械を大事に想い育ててきたのか、愛情は十分伝わってきます。
「機械はしゃべっちゃくれんけど、触ればわかる。人間のすべてを使って、機械をみないと。ぬくみをみたり、熱をみたり、刃が擦れて粗目になっとらんか、とかね。人間のあらゆるところを使わないと機械をみることはできません」。大濱さんの言う「みる」は、全身を使って「診る」ということなのかもしれません。

人間は動物だから、
天然のもんを

布団作りに関わる大濱さんには、「眠り」についてどんな風に考えていらっしゃるかも、聞いてみたいことの一つでした。「からだの芯から眠られるようなものを差し上げんと、と思いますよ。ポリエステル、合繊は天然のもんではないからいかんです。人間も動物だから、現代の技術で自然に近いようにつくったものではあるけれど、本物ではないから、天然のもんを使ってほしい。でもね、天然のもんを扱うのは、つくるのは難しんですよ。難しいけれど、綿わたを使って、芯から眠られるような布団をつくりたいですね」。

 

「10代のとき、綿を打ち直して落ちたカスを工業試験場に持って行って研究してもらったことがあります。そうしたら、このカスは牛の飼料にできる、といわれた。天然繊維からは、循環させることができる。僕はそう思っています」。自然のものはありとあらゆるものが残さずすべて、口に入れられるくらい動物の身体に優しいものなのですね。

想いを引き継ぐ覚悟を

デザイナー荒川の父、忠夫氏は、大濱さんの工場を自分の会社アクトインテリアで遺していくことを決意しました。大濱さんはどうして、忠夫氏に委ねようと思われたのでしょうか。「荒川社長はね、原綿を扱ったことがある、紡績にも携わったことがあると。ああ、これは僕と同じようなルートで、今のところまで来られたなということを察したんです。最後まで話が通じる人だから、骨を埋めるまで付き合おうと思ったわけです」。

対して忠夫氏は「私は若い頃、朝から晩まで綿を転がすところから、布団を袋に詰めるところから、1年も2年もずっとやってきたという経験があったんですね」。続けて、広島弁でこう強調します。「大濱さんも私もゼロからじゃけぇ。たたき上げ。あったものを引き継いだのではなくて、お金もない、得意先もない、物もない。そんな状況から始めたという共通点がありましたね」。

大濱さんが応えます。「僕は感動したんです。荒川社長とは育った環境が一緒だと。布団に対する想いも一緒だと。長いお付き合いができると感じました。最後まで許してもらえるならお預けしようと思った。でも、周りの人は、アクトインテリアとやっていくの?といろいろ言う人もいました。アクトインテリアにも、大濱と一緒にやってうまくいくか?と言う人がいましたよ」。

だからこそ、と忠夫氏は言葉尻を強めます。「外野の声があるのを知っているから、なんとしても成功させにゃと意地があった。ちゃんとやっていけば、いろんな応援団が増えていきました。そして今、大濱さんの想いをちゃんと聞いて、正確に形なり、文章なりに記録しておかんとならんと思ったんです。今日はお話を聞けて本当によかった」。同志としてともに歩んできた二人の顔がほころびました。

デザイナー荒川は、大濱さんからお話を聞いた日のことを、こう振り返ります。「現在、大濱さんは引退をされて、父の会社が工場を承継しているんです。この日は、大濱さんにとっても久しぶりの工場で、足を踏み入れた瞬間、涙を浮かばせながら喜ばれたんです。そのお顔が忘れられません。この場所にあるすべてに込められた愛情含めて、父共々引き継いでいきたいと思っています」。

 

大濱さんの技術で、作っているベビー用の円形クッションのくつろぎマットは、こどもBEAMSさんのサイトからお買い求めいただけます。多くの子供たちに、天然の繊維が引き出す心地よい眠りを味わってもらいたいと切に願います。

 

これからYARN HOMEの商材としても、循環できる天然素材を使って布団や枕、クッションなどをお届けできたら…と想いを巡らせています。この場所から作り出されるものたちをお届けできる日をお待ちいただけたら嬉しいです。

 

こどもBEAMSさんのサイト

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布団、まくら、座布団。何気なく日常をともにしているアイテムですが、これらは原綿から製綿、綿入れという一連の技術によってつくられているもの。今、この製綿・綿入れの技術を持つ職人が減少しています。私たちは、日本の伝統技術と共創し、継承してゆくことをブランドの使命としていますが、特に「この方の技術を来世に残さなければ」と使命感に駆られた人がいます。それが、広島県廿日市にある大濱綿業の昭和9年生まれ御年88歳(取材時)の大濱髙さんです。

 

目の届く範囲で
ものづくり

 

大濱綿業とYARN HOMEとの出会い。それは、デザイナー荒川の父・忠夫氏が営む広島の布団メーカーの歴史と重なります。忠夫氏は、布団作りに欠かせない「製綿と綿わた布団作り」の工場として、大濱綿業に長くお世話になっているのです。布団業界に身を置き40年以上になる忠夫氏は、大濱さんの技術を「一流の職人技」と絶賛します。「この技術を決して絶やしてはならない」と危機感も募らせています。YARN HOMEにとっても、大濱さんとものづくりをともにすることは悲願でした。現在、こどもBEAMSとのコラボ商品であるくつろぎマットの布団を、大濱さんの工場で行っていただいています。

 

 

 

デザイナーの荒川は、大濱さんから技術だけでなく、ものづくりに向き合う姿勢についても多大な影響を受けていると話します。「目が届く範囲でものづくりをしたい、という大濱さんの考えに共鳴しています。私も、拡大路線ではなく、身の丈に合った歩幅で、自身の想いを届けられるものづくりをしていきたいと考えているんです」。荒川は、大濱さんが無理せず、地道に、着実に積み上げてきた日々の営みに対して、厚い信頼を寄せているのです。

 

綿(わた)を作らにゃならん

 

大濱綿業は昭和42年の創業。最初は加工賃がすぐ手に入る布団の打ち直しから事業を始めたそうです。打ち直しとは、長年使ってへたった布団の綿を取り出し、汚れを取り除いたり、硬くなった綿をほぐしたりする技術のこと。ただ、すでにある商品に手を加える打ち直しだけでは商売にならないと考えた大濱さんは、「綿を作らにゃいけん」と、原綿を仕入れて、製綿することを決意します。というのも、大濱さんは会社を興す前、父親の綿業会社を兄と経営していた経験があり、その後、ブラジルのカネボウ(紡績工場)で6年もの間働いていた経験があったのです。

 

 

「19歳までは兄貴と一緒に親父の後を継いで会社をしていたのですが、地道にやっていきたい僕と、大きな商売をしたい兄貴とで考え方が全然違うから、喧嘩になったんです。それで僕は辞めて、単身ブラジルに渡りました。カネボウの紡績工場に入ったころは、特殊紡績を作りよったんです。その経験がのちに生かされました」と大濱さん。「ブラジルの工場を辞めるとき、頑張ったからと退職金を150万円もらいました。社長から、現地雇いで退職金をもらったのは君が初めてだ、と言われましたね」。海を渡って必死で手にした技術で、自らの会社を興したのでした。

 

綿わたの目利きは、誰にも負けん

 

大濱綿業らしさ、独自の技術とは、一体何なのでしょうか。「まず、原綿の素材を選定できるところ。目利きは、誰にも負けんと思います。綿にはいろんな産地があります。産地によって出来が違う。いろんな産地の綿の配合を変えながら製綿していくのですが、どう混綿したらどんな風合いになるのか、長年の経験でわかります」。

 

「さらに、原料の綿の中には綿かすが残っているから、どの機械に、どのくらいの時間かけたら、納得できる良い状態に仕上がるのかも、わかる。その日の湿度と乾燥で、機械の調整を変えよるんですよ。和綴じ(昔ながらの和風仕上げの布団)、ロングアーム、どんな布団でも作れるのはうちの特徴だと思います」。大濱さんの自信が伺えました。

 

機械は子供みたいなもん

 

「あそこの機械には、大濱さんの魂が宿っとる」。機械屋さんからこう聞いた、と忠夫氏。「すごいなぁ、本物の職人だと思ってね。信頼しています」。魂が宿る機械とはどういうことだろう?すると大濱さん、「機械は子供みたいなもん。その日の調子とか、気持ちとかがわかります。工場へ入ったら、音を聞いて、目で見て、においを鼻でかいで、手で掴んで。何回も繰り返して、繰り返して、綿の状態を確かめて理解できるようになった」と話します。
繰り返し機械をどうしたのだろうか。ハテナが浮かぶ私たちに大濱さんは優しく教えてくれます。「機械を改造して、改造して、改造して、思うような綿ができるまで、失敗しちゃあ直してという経験が大事だったね。親父は戦後、日本にはええ機械がないと、中国から中古の機械を買ってきていた。そのときの部品がいっぱいあったから、部品を取り換えたり、組み直したりするのは、どうってことないね。今もね、工場の外に出しとる機械、ばらして直したら素晴らしい機械になると僕は思うとる。ただ、思うように体がいうことを聞かないから難しいけどね」。88歳(取材当時)の今、機械いじりは控えているとのことですが、どれだけ機械を大事に想い育ててきたのか、愛情は十分伝わってきます。

 

 

「機械はしゃべっちゃくれんけど、触ればわかる。人間のすべてを使って、機械をみないと。ぬくみをみたり、熱をみたり、刃が擦れて粗目になっとらんか、とかね。人間のあらゆるところを使わないと機械をみることはできません」。大濱さんの言う「みる」は、全身を使って「診る」ということなのかもしれません。

 

人間は動物だから、
天然のもんを

布団作りに関わる大濱さんには、「眠り」についてどんな風に考えていらっしゃるかも、聞いてみたいことの一つでした。「からだの芯から眠られるようなものを差し上げんと、と思いますよ。ポリエステル、合繊は天然のもんではないからいかんです。人間も動物だから、現代の技術で自然に近いようにつくったものではあるけれど、本物ではないから、天然のもんを使ってほしい。でもね、天然のもんを扱うのは、つくるのは難しんですよ。難しいけれど、綿わたを使って、芯から眠られるような布団をつくりたいですね」。

 

 

「10代のとき、綿を打ち直して落ちたカスを工業試験場に持って行って研究してもらったことがあります。そうしたら、このカスは牛の飼料にできる、といわれた。天然繊維からは、ありとあらゆるものが循環させることができる。僕はそう思っています」。自然のものは残さずすべて、口に入れられるくらい動物の身体に優しいものなのですね。

 

想いを引き継ぐ覚悟を

 

デザイナー荒川の父、忠夫氏は、大濱さんの工場を自分の会社アクトインテリアで遺していくことを決意しました。大濱さんはどうして、忠夫氏に委ねようと思われたのでしょうか。「荒川社長はね、原綿を扱ったことがある、紡績にも携わったことがあると。ああ、これは僕と同じようなルートで、今のところまで来られたなということを察したんです。最後まで話が通じる人だから、骨を埋めるまで付き合おうと思ったわけです」。

 

対して忠夫氏は「私は若い頃、朝から晩まで綿を転がすところから、布団を袋に詰めるところから、1年も2年もずっとやってきたという経験があったんですね」。続けて、広島弁でこう強調します。「大濱さんも私もゼロからじゃけぇ。たたき上げ。あったものを引き継いだのではなくて、お金もない、得意先もない、物もない。そんな状況から始めたという共通点がありましたね」。

 

 

大濱さんが応えます。「僕は感動したんです。荒川社長とは育った環境が一緒だと。布団に対する想いも一緒だと。長いお付き合いができると感じました。最後まで許してもらえるならお預けしようと思った。でも、周りの人は、アクトインテリアとやっていくの?といろいろ言う人もいました。アクトインテリアにも、大濱と一緒にやってうまくいくか?と言う人がいましたよ」。

 

だからこそ、と忠夫氏は言葉尻を強めます。「外野の声があるのを知っているから、なんとしても成功させにゃと意地があった。ちゃんとやっていけば、いろんな応援団が増えていきました。そして今、大濱さんの想いをちゃんと聞いて、正確に形なり、文章なりに記録しておかんとならんと思ったんです。今日はお話を聞けて本当によかった」。同志としてともに歩んできた二人の顔がほころびました。

 

 

デザイナー荒川は、大濱さんからお話を聞いた日のことを、こう振り返ります。「現在、大濱さんは引退をされて、父の会社が工場を承継しているんです。この日は、大濱さんにとっても久しぶりの工場で、足を踏み入れた瞬間、涙を浮かばせながら喜ばれたんです。そのお顔が忘れられません。この場所にあるすべてに込められた愛情含めて、父共々引き継いでいきたいと思っています」。

 

大濱さんの技術で、作っているベビー用の円形クッションのくつろぎマットは、こどもBEAMSさんのサイトからお買い求めいただけます。多くの子供たちに、天然の繊維が引き出す心地よい眠りを味わってもらいたいと切に願います。

 

これからYARN HOMEの商材としても、循環できる天然素材を使って布団や枕、クッションなどをお届けできたら…と想いを巡らせています。この場所から作り出されるものたちをお届けできる日をお待ちいただけたら嬉しいです。

 

こどもBEAMSさんのサイト